夢先案内人の忘備録

夢・幽体離脱・ヴィジョン視

タットワー水の中の火2

前回の夢の考察で気がついたことのメモ。
まず、自分が直後に書いた考察。
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寝る前はフラクタルを意識して科学的な夢を見たかったが、このようになってしまった。
製鉄所は、鉄を溶かすのに火を使い、冷ますのに大量の水を使う。
夢の中では水は干上がっていた。クジラがメンカルの象徴なら仮死状態になっている。火が精神であり、風が思考であるなら、これらでサーチ能力がフリーズドライされてしまってるのかもしれない

少し水を入れないといけない。それが第三の眼メインからハートにおろして見るやり方なんだろう。
それを象徴するように次の夢では
良いさじ加減をガイドから教わった。

恒星パランでカルミネート太陽にスアロキンがパランしている
メンカルはないけど、夢見にメンカル的な能力をハートで感じリーディングする回路をものにすることで取りれられるのかなそうすれば夢見の解釈が変わるのかもしれない

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これをうけて、夢舎で同じチームの方から、剣について家紋との関係性と製鉄所について気になると言うコメントをいただいた。
また、フラクタル構造は実は血管の分岐にもあるそうで、と言うことでちゃんとフラクタルを見ていたのだってわかった。そして干上がったフリーズドライなクジラがプルプルになるの楽しみだなぁとその方のコメントから思ったので、クジラについて調べて見た。

そうしたら、まず、剣については、私の家紋というのは剣とカタバミの家紋でこれ自体が剣(男性性)の△の配置、カタバミ(ハートの形で繁殖力の強い植物、女性性)の▽。これの組み合わせですでにマカバ(六芒星)でこれを囲むように崩し16門菊が円で囲んでいる。
なので、指摘されてわかったんだけれど、夢の内容で「これがハートで感じるということだ 覚えておくように」と言われたのだけどこの中で出てきた赤いバラのツタが血管みたいに四方八方に伸びていくというのが植物的でありそしてハートで感じるという言葉から 家紋のカタバミと確かに似てる
そしてその後で金の剣をもらったのと合わせて、なるほどって家紋との連動もなくはないなと気づきがあった。こういうのはやっぱり自分ではキャッチできないのであり違いと思う。
そもそも家紋に興味はなかったのだけども、蠍座に天体が9つ集まっている方のワークショップに出たら
ライフシールと家紋というテーマで、自分の血やルーツというものを始めてシンボルから意識するというものだったのだ。
宇宙人的なルーツにホッとする自分であっても、一応この物質世界で生きて着地するのに
引き継いできた肉と骨と血を持っているわけで、こういうのは自分の性格上無視しがちなところを
意識しろって情念的なものを大事にしている人が提供しているワークショップに出ることで考えられることができる。
私は自分の体を無視しがちで子供の頃から、夢見の影響から空を飛べるって思い込んでいて高いところから飛び降りてよく骨折や脱臼や捻挫をしていた。
ハートというものを考えた時に、私の場合は肉体をまず入り口にしてもいいのかもしれない。
要するに体感ということだ。心臓に手を当てるというポーズでもいいのかもしれません。
常に自分は自分の体の中にいないって思っているからハートに降りるってことが疎かな気がするのだった。

干上がったフリーズドライな感じ、フリーズドライっていうのは温風で乾燥させる。なので、火と風である。それで水が干上がってクジラがカラカラになっている。と思って自分は水やハートがアンバランスかなって思ったのだけど
後から、フェルクリンゲン製鉄所が出てきた水のタットワの期間の夢を読み返して見たところ
意味がわかったというか
私は水というものに対して、何か情念を利用したプロパガンダ的なものを考えていて
それに飲み込まれないように抵抗したいんだと思っている。のだなということだった。
フェルクリンゲン製鉄所というのは、物質世界で、労働社会の一つのアイコンだ。
水のタットワの期間の夢「neo熱海の夢」の中でこの製鉄所が出てきて
それは私が所属していない宇宙人が人間(スターピープルで宇宙基地に物見遊山か訓練に来ている人たちの魂)を、リクルートしていて
その入り口に使われていた象徴だった。
私は、それに気がついて(風の知や情報)自分の意図(火の精神や魂)に従い、この
プロパガンダにのらなかった。これはこの宇宙人のリクルートというのは安定のための一つの方法として
プレアデスの畑のように管理された中で安定を提供することでの生産体系みたいなものに組み込むということだ
夢の考察の中ではこれに対して、例えばユニクロとかイケアとか安価に手に入ることで失うもの(アンフェアトレードに加担する非個性化)があるって書いた。
これらを読み返して。改めて水の中の火で出て来た夢を読み返すと
干上がったクジラというのは、私にはプレアデスというか集合意識の最大公約数的な安定や幸福のビジョンには従わないというようなメッセージで、すでにそれは干上がっているのが確認できる。
だけど、同時に「良かれと思って」「みんな幸せになるって思ったから」というのを一切排除的な頑なさにも感じなくもない

要するに集合意識といっても、末那識なのか阿頼耶識なのか階層が違うし
地球のアカシックレコードなのかトゥバンのアカシックレコードなのか違う
最大公約数といってもどこの視点のものでか違うのだ。
水の中の火で、私は製鉄所にしらけているのは
古い時代で有効であった幸福やそれに基づいた最大公約数的な集合意識には従わないということとそこから離脱していてぽんぴん飛び跳ねて足をつけて歩かないというのに現れていると思う。
物質的にはそこには足をつけない。
だけど、ハートを広げた先にもらった金の剣で踊りまくっていて楽しいというのには心を沿わせられる。
という確認だったのかなと思った。
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日常の記録

4日前から具合が悪く、心臓が痛いのに始まり
喉が痛くなり、すごい熱が出てきて鼻水と頭痛も。普通の風の症状だけれども
私は熱が出ると、体に熱がこもってしまうタイプでインフルエンザじゃなくてもインフルエンザ的に
関節という関節が痛くなって、皮膚を触るだけで痛くなる
救急病院に行った方がいいかなと思うくらいだったが、麻黄湯を2時間おきに飲みまくるという荒技でなんとか今日の夜から少し楽になったけれど
昨日と一昨日は、細切れのワープな2日間だった。麻黄湯を飲むと、悪夢とか変な夢をみるらしい。
確かに今朝の夢は自分の体がバラバラにリビングルームに散らばっているんだけど
一つ一つのパーツに脳みそがちゃんと入っているみたいでしっかり機能しているという
「案外バラバラになっていても大丈夫なんだなぁ 発見だなぁ」と呑気に感心している夢だった。
久しぶりに40度の熱で、今日やっと37度台に下がったけれど
私の平熱は35.7なのでまだまだフラッとする。食欲だけはあるので、豆乳ヨーグルトを食べた。

そんな中、今日、松村先生のFBのタイムラインに衝動的に反応してしまった。ら
返事のコメントの流れから、何か小説というか書き物に挑戦します!って宣言に
こういうのも引き寄せなので、とにかく言葉にして出すのが一番だ。
問題なのは、それを先生の新刊の発表のところに
「なんで おまえが 自分の夢(しかも小説書きます!って)かいてるんだよ」的な、申し訳ありません!!!!という感じというか。いや、こんな風になるとは思わなかった。
普通は謙虚に、いやいやそんなで終わらせることなんだと思うのだけど
コメントの応酬をしてしまった。

特に、小説をまとめられた太田さんのアマゾンでの本の紹介の文は感動的に熱い文章でした
あれを読むと、いくら先生にやってみなよ!って言われても
厚顔無恥な輩であるなと、、、でも尚更もうやるしかないでしょう。。。

どうしてこうなってしまうのか。。
先生のFBのタイムラインに私の名前が書かれても、念が怖いので
反応しないように書き込まないように気をつけていたのに
今日は、パッと見て「素敵!」って思ってしまい衝動のままに書いてしまったのだった
おそらく熱があったからかもしれない。熱のせいにしよう。

でも私は先生のおかげで、色々と「やってみよう!」ってできたこと沢山ある
だから本当にありがたいことです。

あと、
私の文章は人に訴えかける力があると言われ
でも衝動的にぐちゃぐちゃに書いてあると言われた。
文章能力を伸ばしますっていったんだけど。と言いながらこのブログはメモというかネタ帳なので相変わらず支離滅裂に書きなぐります。
本当にしっかりちゃんと文章に整えようとすると何時間もかかってしまうのだ。
昔、ブログを毎日書いていた時は、メッセージで「泣きました」とかもらうのが嬉しくて真剣に時間をかけて書いてたんだけど時間がかかるので今できない。

でも訓練なのでやっていればだんだん短い時間で描けるようになるのかもしれない。

10人中7人には訴えられる文章らしいのだけど
私にはそれはわからないどういうところがそうなのかな。
でも以前も晶さんのメールはあつくるしいと言われたので
そのことかな。

もしそうならば、それは確実に意図を持って「訴えている」というか懇願しているからであって
そのように強く訴えかけるのは、先生に対してだからでそれは依頼だからだ
っていうのが入っているからじゃないだろうか。。
他の人にそれだけ懇願したり
訴えているかといったらまずないのではないだろうか。
自分のことはさっぱりよくわからない。

でも他の人の文章ならそういうのわかる。
講座のアンケートで、以前は集めたものを打ち込んで先生に送っていたけれど
ある時から、これはせっかく手書きだからこのまま送りたいって思ってスキャンすることにして送っていた。
私は、文字の1文字1文字に魂入っていると思う。
文字の形とか丁寧さじゃなくて、タッチとか全てにこもっているから。

いつも、自分が文章書いていてイライラするのは
句読点が嫌いということだ。
句読点が「、」と「。」しかないってなんか納得いかないというか
私はどうもポエム的というか、
どこで区切るのか、とか
、 なのか 。 なのか
改行なのか
というのもというか文字化すること自体が土の□に感じる
文字や文章って風じゃなくて土だろうって思っている
だから余計にこれをさらにコントロールする「、」とか「。」が嫌いに思うんだ
「、」「。」って呼吸とかリズムの位置だし
ここで考えて、とか
コントロールに思うんだ

だから詩とか絵が好きだ。自由というかどこで区切ってもいいじゃない。どこにフォーカスするのも自由だし。
でも、ぐちゃぐちゃな衝動じゃなくちゃんとかけるようになったら
相当頭も整理されるような気がする。
そもそもポエムであったっていろんなテクニックもあってのものなのだし
何かを表現したい、それをやりきるっていう訓練はどのんなジャンルでも関係ないものね

私が一番ダサいって思うのは、行動しないのに行動している人の批評をすることだ
自分は一切挑戦しないのに、荒削りでもなんでも表舞台に立って身を晒している人を
批評家気取りでいう人になるのだけは嫌だなって思う。
自分が表現したい創造したいという衝動や欲を、できない代わりに批評するということにその欲を昇華しちゃうと
ますます一歩も踏み出せなくなってくる。
そしていつまでも、出来ないことをグダグダとさももっともらしい言い訳を交えながら説明することに上手になっていく
そういう自分になるのは嫌だな。
あと、練習ばっかりしてしている人というのにもなりたくない。
これは私にも運動部に入っていたという体験があるからなのかもしれない。
試合に出ることの大事さというか、練習は練習にしかならない
試合に出てわかることがあるし、試合に出たからこそ練習の質が変わる
占星術勉強始めて、丸4年立ってしまった。その前もちょびちょびと勉強していたけど、本格的にやり始めて丸4年。教えることを始めると違うというから、それもやってみると良いのかもしれない
鑑定すると確かに違う回路を使うから発見もあったけれど
そんなことしてると、また横道に逸れていく。。
そもそも横道ってなんなんだろう。。

とにかく、この半年で思い知ったのは、
そもそもこの人生の中で、ほとんど体力なかったよね、、、、ってことだった。忘れていたのだ。
気合いでなんとかなるっていうのの繰り返しで。
考えて見たら親族も家族も、みんな気合いで乗り切ろうっていう人ばかりだったから
具合悪かったら休もうっていう感じじゃないから
引っ張られていたけど、気合いの気もそんなにないと思う。

なので、絞らないと。占星術のせいにしたくないが
今は月にT土星冥王星がスクエアなので早くこれが過ぎ去ってほしい。