夢先案内人の忘備録

夢・幽体離脱・ヴィジョン視

タットワー青い丸(2)

青い丸2 0429朝
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青い丸を思い浮かべてクリックアウトした
白檀や沈香や伽羅が混じった香りがしてきて
なんて良い香りなのだろうと感動してクンクンと胸の奥まで吸い込んでいるうちに明晰夢になっていく
音楽が聞こえてきたと思ったらそれはものすごくたくさんの人による読経のようで
五言絶句の文字が見える
香りと音の響きがとても気持ちの良い夢
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香りの夢は今までにも経験したことがあるけれど
毎回、えもいわれぬ香りでこんな香り嗅いだことがないとか実際にあったらいいのにと感動して眠りが覚醒していくので印象深い
今回は特に東洋系の香りだったしお経だったので
仏教系な夢?
風のタットワでの夢のいくつかが出揃ったらまとめて浮かび上がるメッセージがわかるのかなと思った。
五言絶句の一句を覚えようとしたけど持ち帰れなかった。


だけどなんのお経なのかは知っている。このお経の肝心は、仏は今世で悟って仏となったのではなくて永遠にずっと昔から仏であったということ
それは全ての人がそうであるということだ。
これが夢に出てきたというのはなんでだろうかと思ったけれど
それは寝る前に、ツイッター
木星が合の人というのは木星域で月の子供時代のことをもう一度行うという松村先生の解説を考察したからで
その解説では、石を投げたりする木星域と言われたので
私は月の時代(生まれる前から7歳まで)を思い出していた。

2階から落としても割れない泥団子作りの研究に夢中になっていて
泥団子を何個も作っては綺麗に磨き上げて2階から落として
割れるとまた作って また落としてというのを何度も繰り返し
しまいに割れなかった団子ができたとき、私はとても悲しかった。
今ならわかるけれど割れないことでの諸行無常を感じたというか
割れるとまたもう一度新しくやり直せる 創意工夫を込めれるそれが楽しい
というのが出来上がってしまうともうそれはなくなるのだっていう寂しさみたいなものだった。
でもそれって人間に輪廻に似ている。

何度も何度も死んでまた生まれ変わって、奮闘しながら上に上がっていく
地球でもうできる体験がなくなったらもう地球では生まれることはなくなり
寂しく思うのかもしれない。

木星域でまた団子作りに勤しむのかなと思っていたところ
ツイッター
「永遠なるもの、壊れない変わらないものが真理なのだと高校生の私は一人哲学してましたで、永遠に変わらないものは、その時は見つからなかった。 二階から落としても割れない泥団子は、真理なのでは?木星期、晶さんは真理を投げる、広げるんじゃないかなぁ」
と言われた。

私は、永遠に変化し続けることこそが永遠に変わらない真理だと思っていて
そして同時に、時や場所の移り変わりの中でも変わらないエッセンスを知りたいと思ってきた。占星術を勉強している喜びというのはそこに触れることでもあるので楽しいのだ。
私にとっての真理はなんなんだろうと思ったのも

この後で見た夢に関係あるのかもしれない。
また、月の時代の思い出の中で、そういえば私は幼稚園児の頃には
お経を朝晩と読まされてそれで文字を覚えたというのを忘れていた
私は7歳の頃にはすでに、ろうそくの炎やお線香の煙の揺らめきで
何かがそばにきている時とそうでない時の違いを知っていたし
それを感じるのがとても好きだった。
読みながら声の響きでぼーっとするのが好きだった。
あれって変性意識に入る楽しさだったのかもしれない
埃の粒が、日光を浴びてキラキラと光る道筋を見ながら
炎や香りや自分の声の響きにぼーっとするのを覚えていた
傍でハエが死んでいるのを見たら、「はえさんもじょうぶつしますように」と祈っていた
なんで人間が死んだ時だけそれも家族親族だけ「じょうぶつ」を祈るのか納得いかないなと思っていたのだった。
というわけで私が一番スピリチュアルだったのは月の時代かなと思う。
今は随分とすれっからし?「汚れちまった悲しみに」だなと思う。




ーーー日常の記録ーーーー
昨日は宇宙意識養成学校で松村潔ZOOM講座 スタピの為の占星術
の初回だった。
月額制ではなく単発制にしたのだ。それをVIMEOで販売し購入者はダウンロードできるようにする方がいいと思った。
周りの子供たちを見ていると、もうPCではなくてスマホyoutubeや動画を見るのが普通になっていて
モバイル端末にダウンロードしていつでも見られる方が勉強するにはいいと思った。
特に内容が占星術の基礎なので繰り返し見るのにパソコンをいちいち立ち上げるよりいいしネットに繋げなくてもいい風にしたいと思った。

昨日は、15時に終了したあと高校の同級生に誘われて昨年に引き続き代々木公園でピクニック&レインボープライドパレードに行くつもりだったけれど、やっぱり連続で活動するのがしんどく
考えて見たら26日に弁当とホビーショー。27日に説話社に行って2日連続で外に出て濃い活動しているのでもう無理なのだった。
昨年レインボーパレード行って、良い気に満ちていたから行きたかったのだけど
渋谷はエネルギーを使うので行かなくてよかったのかもしれない

しばらく体を温めるようにしてソファに寝ていた。
昨日は私の車が新車になった、母が車を取り替えて戻ってきていた。
今月の初めだったか先月の春分だったか忘れたけど
突如「1週間以内に車を契約するから車種を決めて」と言われ。
母は7人乗りの乗用車、私は軽自動車に乗っていたが
昨年から私は浜松に遠出することがあり、大きい車と交換して乗る機会があり
母は軽自動車の小回りのきく感じに慣れ、都会では小さい車の方が楽ということがわかったものだから私の車を変えて自分は新車に乗り私は古い大きい車になった。
昨年、大きい車に乗ってから、自分のエーテル体のデフォルトがそっちのサイズになっていたので今更小さい車に戻りたくないなっていう違和感があったので
私は新旧よりも大きさの違和感を大事にしたかったのと
でも軽自動車は祖母が買ってくれたものだったから私はボロボロになっても乗っていたかった。恒星探索を頻繁にやるようになりQHHTをたくさん続けてからなぜかぶつけまくるようになってしまい
結構ボロボロになっていた。
私は到底、カタログを見たり、スペックを調べたり、何か選択したりまして試乗にいく気力はなかったし 別に新しくしなくていいという感じで結構具合が悪かったので
「今はとても気力ないから きたものを受け入れる」とだけ話していた ら
車は緑色になっていた。
夜になると暗くなって危ないから、夕方でまだ明るいうちにと思って
近所を一走りしてきた。とても運転しやすい。
だけどメインで乗る車が交換したので私は古いけど大きい車になった。

昨年、車を変える夢を見たので正夢に思う
また、「黒から緑へ」「ナンバー9(ナイン)」「第四の道へ」と緑色に光る雲でできた顔に言われる夢を見ていた
またヒスイ色に石や緑のチケット 緑のカクテル という感じで
緑が印象的な夢が多かったので
車が緑になったのは何かこう面白いなと思った。
緑が印象的な夢も このブログに残しておかなければ。書いても書いても隙間ができない。


先生は、今日はホワイトボードを写していてご本人は動画に映ってない。
すでに自分が携帯占いサイトなどでアイコンみたいになったりしていても
やっぱり嫌ですよね、、?どうなのだろうか自分だったら嫌だ。
雑誌の連載などでプロフィール写真が常に出ていた方の気持ちというのはよくわからないのだけれど
だけど、松村先生は書籍の中の人格と、リアル講座での人格が違うというか
実際に声を出しているのを聞いた方が、その内容が音に溶けているから
絶対に講義を聞くべきだと思う。
本当は姿が出ている方がいいと思う。
ノンバーバルコミュニケーションで受け取るものが断トツに違うのだ。
特にリアル講座はそれが如実なのだ。


それはそうと私は自分はなるべく映りたくない。でも写真を撮るのは好きだ
私は常にその人の長所とか素敵なところを見つけることに喜びを感じるタイプで
まるで、周り全てのものが燦々とオーラを放っているモードに目を変えるように
誰のことも好きになれるという得意技があるのだった
性格だけでなく形に対してもいつも人と会っていると、この角度が素敵だなとか
この人の首のラインは本当に美しいとかどうしてもそういうところを見る癖がついてしまっていた。しかし自分自身は
写真に撮られるのも嫌いなのだった。
私のセルフイメージはいつも男性というか。かと言って男になりたいわけでもない
なんかいつも乖離しているというか。
女性という自認で女性が好きっていうわけでもなく
女性という自認で男性が好きっていうわけでもなく
どうしていつも女型に固定されているんだろうっていう疑問というか解せない感がずっとあるし
恋をして相手が男性だと、自分は女性になるという感じというかそれも違うな
相手が男性だったならとりあえず自分は女型だからよかったかもーってなるという感じ。
なのでいつもは自分も周りに見えている人人も性が未分化として見ていて
特定の人を好きになっているとその人だけが男に見えて自分が女にるというか
しかし12年に1回くらいそれも一目惚れしかないので、全く世の中の女の人の気持ちがよくわからないのだ。なので正直いうと恋愛の相談とか男女の人間関係の相談などは苦手なのだった。言えるのはその人間関係を通じて体験して気づく乗り越えることが用意されたのですね 違うジャンルでの学びにしてくださいとガイドに頼めば変えてくれると思います という。(でも大抵は変えない方がいい。)

それはそうと通常、自分の自認像で一番近いのは小3男子というかそんな感じなのだ。
だけど体は女なので、毎月、毎月、あ、胸が大きくなったよ。あ!血が出てる。女だ女だ!おおお って感じですごく他人事なので
いつまでも月経になれないで血で服や寝具を汚している一体全体何十年女をしているのかって話なのだけども。かと言ってこの体が忌まわしくて嫌いだぁ!っていうのでもないのだ。どこまでも体に対して何か自分のものでないような感じがある。
写真を見ると、自分を他人のように感じるというか不思議な感じがするのだ。
本当は誰なんだろうって思うというか。

そんな感じなので、同窓会や同級生の集まりなどにいくと、私たちの期はなぜか同級生同士の結婚が多くて、私にしてみると見てはいけないものを見ている気がしてソワソワして落ち着かない。どうしていいのかわからない。近親相関な感じに思っているのか
おそらく兄弟姉妹のように思っていたから頭が処理できないというか混乱するのだ。
しかも子供がいる場合は、〇〇ちゃんと〇〇くんから人がもう一人できたんだねって感じで ものすごく感動するというか不思議というか。

甥っ子に対しても、妹から2人の人間が出てきた、、、、という感じで
なんか圧倒されてしまうというか、不思議でならない。
種やナッツや大豆を水に入れていると発芽してだんだん伸びてくる。球根を水栽培していると芽が出て花が咲くのと似ていて
それが人間バージョンなので、もう圧倒されてしまうのだった。


なので痛みに対しても鈍い。相当に痛くなってやっと、痛みのおかげで
痛みが船の錨のような効果となってくれて、この痛みという場所に自分が確かに収まってるのだなぁという輪郭というか境界線の自覚ができるというか。
疲れているのもあまり気がつけないというか。生理現象をわりに無視というか気づかないことが多い。飲まず食わずで何かに集中しすぎてお腹が減ってるのに気がつかなかったり
何かフラフラするなと思って 歩き始めたらいえの中や電車で倒れるとか
目が疲れたなと思っていたら実は眠いだけだったとか
玄関でそのまま眠ってしまうとか、パンを握ったまま電池が切れて寝てしまうとか
なんかいつも体が置いてきぼりなのだ。
そういう意味で 今は痛みではなく痒みで皮膚の輪郭、境界線を自分でひっかいたりしているので
ここに体があって、意識はこの中に収まってるんだなぁと自覚せざるを得ないので
もしかして何かいいアシストなのかもしれない。